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【二次創作】劇団三年物語「ツクモガミ」 白雪&ジロ.ver
2008 - 11/28 [Fri] - 19:48
「おかえりなさい」
いつもより遅い帰宅のタロに、白雪は台所から声をかけた。
ただいまと、返ってくる声は今日もなかった。
「今日も疲れたよ」
「お疲れ様。ビール、出しましょうか?」
「…………」
「……タロ?」
タロはネクタイを緩める手を止めて、一度、大きくため息をついた。
「……明日も、仕事なんだから、飲めるわけないだろ。少しは考えてくれよ」
「ごめんなさい……」
「もういいよ。ご飯は?」
「あっ、今、出しますね」
白雪は冷蔵庫を開けて、中から今日の献立を一つ一つ取り出した。そして、一つ一つテーブルに運び、タロの前に一つ一つ並べていった。
鳥肉と帆立の五目御飯。アサリの味噌汁。ホウレン草のおひたし。厚焼き玉子。秋刀魚の塩焼き。肉じゃが。
並べ終えた白雪は、タロの前に座り、
「どうぞ、召し上がれ」
満面の笑みを送った。
「…………」
そんな白雪の顔を一瞥すると、タロは目の前の秋刀魚を指で軽くつついた。少なからず弾力をもって跳ね返してくるそれは、ゴムのような肌触りだった。
「……タロ?」
「……こんな冷たい秋刀魚、食えるわけないだろ」
「あ、ごめんなさい。すぐ暖めるから」
「いいよ。……こんなにたくさん、食べられないし。今日は、もう寝るよ」
席を立つと、上着を居間のソファに放り投げ、タロはそのまま寝室の襖を開けた。
「そんな、なにか食べないと駄目よ」
「いいって、言ってるだろ……」
「病気にでもなったら大変じゃない。最近、顔色が悪いわよ」
袖のボタンを外しながら、タロは大きくため息をついた。
「だったらさ……」
「……タロ?」
「…………だったら、もっと気を使えよっ!」
夕飯の乗ったテーブルに向けて、タロは超電気バスターを放った。テーブルは衝撃で粉々になり、上に乗っていた夕飯は食器もろとも床に叩きつけられ、部屋には食器の破片が転がる音だけが残った。
「タロ……」
「…………ごめん。最近、イライラしてるんだ。上司がさ」
「レグザ係長?」
「……うん。セクハラがひどくて」
「いいのっ。…………わかってるから。タロは、本当は、優しいって。……私、わかってるから」
「…………」
白雪は笑っていた。
白雪は泣いていた。
タロを励ますために笑っていた。
タロを信じて泣いていた。
「…………」
タロは、そんな白雪を直視できず、目を背けてしまった。
なんて言葉をかけていいかわからなかった。
どんな顔をしていいかわからなかった。
そんな自分がもどかしい。
こんなにも愛してくれる人に、かける言葉が見つからないなんて。
「おぎゃー、おぎゃー」
「あらあら、ジロウちゃん。起こしちゃって、ごめんなさい」
泣き声に呼ばれ、白雪はタロの横を通り過ぎて寝室へと向かった。
我が子をあやす白雪の姿に、その微笑に、タロは目を奪われた。思い返せば、こうしてちゃんと白雪の姿を見たのは、いったい、いつぶりだろうか。
「…………」
ジロウを寝かしつけた白雪の肩に、タロは優しく手を置いた。白雪は振り返らずに、その手にそっと、自分の手を重ねた。
暖かい、手だった。
「タロ」
「白雪」
「タロ」
「白雪」
「タロっ」
「白雪っ」
「タロっ」
「白雪っ!」
「大きな声出さないで。ジロウちゃんが起きちゃう」
「白雪っ!」
白雪は目を開けた。ぐらぐらぐらぐらと、視界が揺れている。
「……………………あっ、揺れてるのは、私?」
両手で頭を押さえて、ようやく視界の揺れが止まった。頭が左右に揺れていることに気付く間に、白雪はまばたきを三回していた。
ジロは苦笑いを浮かべて少しあきれながら、白雪の目の焦点が目の前にいる自分に合うまで待つことにした。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……ジロ? いたの?」
「長かったな。おいっ」
苦笑いは引き攣り笑いに変わっていた。
「んっ?」
「いやー、別に。今来たんだ」
「そう」
白雪はまだ夢見心地なのか、ねじ屋の店内に視線を泳がせていた。壁から、床へ。ショーウィンドウから壁にかかったスパナやハンマーへ。天井から壁にかかったねじばあの写真へ。
「おーい」
「えっ?」
「大丈夫かよ」
「……うん」
と、言った白雪の顎には、よだれのあとが残っていた。腕を枕にして眠っていたテーブルの上にも、よだれの水溜りがしっかりと残っている。
ジロは、心底あきれたように、大きくため息をついた。
「なによ」
「ねじ屋の店先で、よだれたらして居眠りかよ」
あわてて白雪は袖でよだれのあとを拭い、テーブルに上から覆いかぶさって水溜りを隠した。
「…………」
「……そこから、どうすんだよ」
「…………」
沈黙十秒。
白雪は、いっそ堂々と、身体を起こして胸を張った。水溜りには、もちろん何の変化も見られない。
「…………」
「……で?」
「よだれじゃないわっ! ただの洗浄液よっ!」
「…………」
「…………」
「……なんか、そっちの方が嫌だな」
「……うん」
テーブルの脇から雑巾を取り出し、白雪は水溜りの掃除を始めた。
「…………いつから」
「んっ?」
「いつからいたの?」
「……最近顔色が悪いとか、なんとか、言ってる時から」
「起こしてよ……」
「幸せそうに寝てるのに、起こせるかよ。…………なんか、様子がおかしくなったから、こわくなって、結局起こしたけど」
「…………」
「なあ、どんな夢だったんだよ」
テーブルの前の椅子に座って、ジロは興味津々といった顔で訊ねた。
「別にいいでしょっ。そんなのっ」
白雪は、ゴシゴシと強くテーブルを拭く音で、ジロの追求を誤魔化そうとした。が、ジロの台詞は、しっかりと強烈なインパクトをもって、白雪の耳に届いた。
「ジロウちゃんってのは、なんだ?」
「…………」
「まさか、俺のことか?」
「ちがうわよっ」
雑巾を床に投げ捨てて、白雪は力強く先を続けた。
「私とタロの子供っ!」
「はあっ?」
「ジロウちゃんっていうのよ。あなたの名前に似てるのは、タロがつけたからなの」
「……はあ、そうなのか」
「タロはね、東芝重工の優秀なエンジニアなの。でも、上司のレグザから執拗なセクハラを受けててね、出世コースからは外されちゃったの」
「……はあん、レグザがねぇ」
今度は、ジロが誤魔化す番だった。
どうすればこの先の展開を止められるのか。ジロは考えた。必死に考えた。必死に必死に考えた。結果、時間切れだった。
「私とタロは、結婚して二年目。ちょっと倦怠期気味なの」
「二年目でか。大変だな」
いろいろあきらめたジロは、むしろ気持ち良く全部吐かせてやることにした。
「ちょっとイライラして、家庭で暴力を振るうこともあるけど、本当は優しいタロと、ジロウちゃんの三人で、私は幸せに暮らしてるの」
「絵に描いたような幸せな家庭、だな」
「でね、タロには愛人がいるの」
「おっと、事情が変わったな」
「露出度の高い服装と甘い言葉に騙されて、タロはついつい気を許しちゃうの」
「言いたいことは、……だいたいわかる」
「名前は、鈴鈴」
「……なんとなく予想できた」
「その愛人にもね、旦那がいるの」
「お互いに不倫なのか」
「その愛人の旦那がね、私のお兄ちゃんなの」
「お兄ちゃんかっ!」
「生き別れの」
「生き別れかっ!」
「その人は、若い時はやんちゃしてたタロを、真人間にして、東芝重工に入れてくれた人だったの」
「そうかー。すごいやつなんだなー。まるで、救いのヒーローだ」
「名前は、ジロ」
「って、俺かいっ!」
「ジロは、生き別れた妹である私の夫であり、自分の妻を寝取ったと思い込んでる男であるタロに、昔を恩を仇で返したタロに、復讐を誓うの。そして、私は、復讐の渦に飲まれて、身を破滅させる。最後に残されたジロウちゃんが、ジロの子、ヤキヤキと、最後の決戦に挑むの」
「…………」
最初から最後まで、ドロドロだった。
「…………キャスティングに悪意を感じる」
「夢だから」
「そうか……」
ジロは、心底疲れたようにうな垂れて、長く長く、ため息をついた。
深呼吸をして、もう一度。
白雪はといえば、実に清々しい顔で遠くを見て笑っていた。
何を見て笑っているのか、ジロは聞かないことにした。
「それで……」
「あんっ?」
「今日はどれだけ稼いだの?」
「ああ、そうだった。忘れるとこだった」
言って、ジロは床に置いていたカバンを指した。
「見てくれ」
「はーいよっと」
電卓を片手に、白雪はカバンからパーツを取り出して、一つ一つ値踏みしていく。電卓に弾かれる値段を、ジロは首を伸ばして覗き込んだ。今日も、まずまずといったところだろうか。
「んっ」
最後のパーツを手にとって、白雪は小さく声を漏らした。電卓を床に置いて、その最後のパーツを両手で大事そうに撫でまわしたり、照明にかざしたりしている。
「どうした?」
「んー、んっ? んんっ? んーんっ」
「どうしたんだよ?」
「ちょっと待ってね。古い年式のパーツで、資料を見ないとわかんないの」
そのパーツをテーブルの上に置いて、白雪はショーウィンドウの下をガサゴソとあさり始めた。ジロには量産型工事用ロボの腕にしか見えなかったが、白雪にはこのドリルが量産品とは違う物に見えるらしい。
「まだか?」
「もうちょっと、待っててって」
なんとなく手持ち無沙汰になってしまったジロは、愛用の如意棒(命名:タロ)を顎に乗せてバランスゲームを始めることにした。
が、すぐに厭きた。
バランスを保つのは簡単だった。しかし、沈黙を保てるほど、ジロは人に無関心ではいられなかった。
無為な時間を続けるには、ジロは一人で生き過ぎていた。
「お前は、ホント、タロが好きなんだな」
「えっ?」
「お兄ちゃんは、良くわかんないよ。あいつの何がそこまで好きなのか」
ジロは、バランスゲームを続けながら、先を続けた。
白雪は、資料を探しながら、その先を話した。
「んー、何って言われると、とても難しい」
「難しいのか」
「うん。あの時、タロが現れて、私の世界を変えてくれた。だから、タロが好き。でも、タロじゃなくても、良かったのかもしれない、なんて思うことも、ある」
「そっかー。思っちゃうのか」
「でも、今は、タロじゃなきゃ嫌、とも、思う」
「なんだ。やっぱりタロなんじゃないか」
「うん。きっと、運命、だったんだと、思う」
「運命?」
「そう。運命」
「なんか、ふわっとした言葉だな」
「そうかもね。でも、あの時、タロが来てくれなかったら、私は今ここにいない。タロがいなかったら、きっと、ねじ屋でみんなを修理するなんて、しなかったと思うの」
「そうだな。そうかもしれない」
「私は、今、幸せ。とっても幸せ。あのままいても、こんなに幸せにはなれなかったと思う。だから、今の私に導いてくれたタロが、私は好き」
「幸せね。なら、いいんじゃないか」
「そういえば、私の目の前でタロが壊れた時、ジロは助けに来てくれたわね」
「ああっ? そう、だったかっ?」
「そうよ。その後、タロと一緒に私を、ねじ屋まで連れてきてくれたのも、ジロ」
「まあ、物のついで、……だったからな」
「それでも、それもやっぱり、あの出会いも運命だったんだなって、そう思うの」
ジロは如意棒を掴んで、いまだ探し物を続ける白雪にその先を向けたが、白雪はこちらを見もしないので、その意味は全くといって言い過ぎないほどに、なかった。
「恥ずかしい言い方はやめろ」
「あらっ、事実よ。じ、じ、つ。私はそう思ってるんだから」
「だからって、……言いようってのがあるだろ」
「なに照れてるのよ。お兄ちゃん」
「…………」
むくれているジロの姿が、白雪は振り向かなくても想像できた。想像した姿のあまりの可笑しさに、クスクスと声を殺して笑った。
「ジロには、ないの?」
「あんっ?」
「ジロは、運命って、思ったことは、ないの?」
「んーっ? 運命ね。…………運命。んー」
「そんなに、真剣に悩まなくてもいいのに」
「いやー、なんつーかさ。…………出会いが運命って言うなら、ねじばあに会ってなきゃ、俺はこの村にいないわけだし。タロに助けられてなきゃ、俺は生きてないわけだし。タロが俺のことを勘違いしてなきゃ、ここまでタロに世話焼いたりしなかっただろうし。…………んー、これもっ、全部、運命っていうのかな?」
「ジロは幸せ?」
「まあ、前よりは楽しくなったな。ルールに縛られて動いてだけの昔に比べりゃ、だいぶましだ」
「いきなりルールがなくなって、こわくなったりしなかったの?」
「んー、まあ、お前みたくゆっくり考えられる時間があったわけじゃないから、よく覚えてないけど」
「別にのんびりしてたわけじゃないわよっ!」
「選択の余地がなかったって意味だよ。怒るなって」
「別に怒ってませんよー」
「そうかいそうかい。良かったよ」
「…………」
「…………」
「…………まあ、そうだよね」
「……んっ?」
「……ジロは、怒涛の人生だもんね」
「怒涛って、なんだよ」
「なんとなく、よく知らないし」
「…………んー、まあ、あれだ」
「…………」
「ルールが無くなって、自分で選んで、それでも今幸せなんだから、それでいいか、なんて思ってるよ」
「…………」
「そういうのも、運命って、言うのかな」
「…………あれー、見つかんないなー」
「おいっ」
「見つかんないんだってー」
「おいっ、聞いてんのかよっ!」
「運命、運命。間違いない」
「……ったく、ホントかよ」
ねじ屋からは二人の笑い声が響いていた。
まだ見つからないのか、白雪は探し物を続けている。
まだまだ時間がかかることを見越して、ジロはバランスゲームを再開する。
結局、ヤキヤキの戻ってくるまで、二人は他愛のない話で盛り上がってしまい、白雪は探し物を見つけることができなかった。クドクドと小言続けるヤキヤキを横目に、二人は舌を出して笑っていた。
【白雪&ジロ.ver END】
---------------- キリトリセン ----------------
本編は、劇団三年物語シーズン2 第2回公演「ツクモガミ」の二次創作です。
読み終えた後、「三年物語」に少しでも興味を抱けて頂けたら、幸いです。
以下、リンクです。
■ 劇団三年物語さま
感想などありましたら、【一言版】にお願い致します。
【二次創作】劇団三年物語 【目次】へ
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劇団三年物語「ツクモガミ」 白雪&ジロ.ver
(本編↓)
---------------- キリトリセン ----------------
「おかえりなさい」
いつもより遅い帰宅のタロに、白雪は台所から声をかけた。
ただいまと、返ってくる声は今日もなかった。
「今日も疲れたよ」
「お疲れ様。ビール、出しましょうか?」
「…………」
「……タロ?」
タロはネクタイを緩める手を止めて、一度、大きくため息をついた。
「……明日も、仕事なんだから、飲めるわけないだろ。少しは考えてくれよ」
「ごめんなさい……」
「もういいよ。ご飯は?」
「あっ、今、出しますね」
白雪は冷蔵庫を開けて、中から今日の献立を一つ一つ取り出した。そして、一つ一つテーブルに運び、タロの前に一つ一つ並べていった。
鳥肉と帆立の五目御飯。アサリの味噌汁。ホウレン草のおひたし。厚焼き玉子。秋刀魚の塩焼き。肉じゃが。
並べ終えた白雪は、タロの前に座り、
「どうぞ、召し上がれ」
満面の笑みを送った。
「…………」
そんな白雪の顔を一瞥すると、タロは目の前の秋刀魚を指で軽くつついた。少なからず弾力をもって跳ね返してくるそれは、ゴムのような肌触りだった。
「……タロ?」
「……こんな冷たい秋刀魚、食えるわけないだろ」
「あ、ごめんなさい。すぐ暖めるから」
「いいよ。……こんなにたくさん、食べられないし。今日は、もう寝るよ」
席を立つと、上着を居間のソファに放り投げ、タロはそのまま寝室の襖を開けた。
「そんな、なにか食べないと駄目よ」
「いいって、言ってるだろ……」
「病気にでもなったら大変じゃない。最近、顔色が悪いわよ」
袖のボタンを外しながら、タロは大きくため息をついた。
「だったらさ……」
「……タロ?」
「…………だったら、もっと気を使えよっ!」
夕飯の乗ったテーブルに向けて、タロは超電気バスターを放った。テーブルは衝撃で粉々になり、上に乗っていた夕飯は食器もろとも床に叩きつけられ、部屋には食器の破片が転がる音だけが残った。
「タロ……」
「…………ごめん。最近、イライラしてるんだ。上司がさ」
「レグザ係長?」
「……うん。セクハラがひどくて」
「いいのっ。…………わかってるから。タロは、本当は、優しいって。……私、わかってるから」
「…………」
白雪は笑っていた。
白雪は泣いていた。
タロを励ますために笑っていた。
タロを信じて泣いていた。
「…………」
タロは、そんな白雪を直視できず、目を背けてしまった。
なんて言葉をかけていいかわからなかった。
どんな顔をしていいかわからなかった。
そんな自分がもどかしい。
こんなにも愛してくれる人に、かける言葉が見つからないなんて。
「おぎゃー、おぎゃー」
「あらあら、ジロウちゃん。起こしちゃって、ごめんなさい」
泣き声に呼ばれ、白雪はタロの横を通り過ぎて寝室へと向かった。
我が子をあやす白雪の姿に、その微笑に、タロは目を奪われた。思い返せば、こうしてちゃんと白雪の姿を見たのは、いったい、いつぶりだろうか。
「…………」
ジロウを寝かしつけた白雪の肩に、タロは優しく手を置いた。白雪は振り返らずに、その手にそっと、自分の手を重ねた。
暖かい、手だった。
「タロ」
「白雪」
「タロ」
「白雪」
「タロっ」
「白雪っ」
「タロっ」
「白雪っ!」
「大きな声出さないで。ジロウちゃんが起きちゃう」
「白雪っ!」
白雪は目を開けた。ぐらぐらぐらぐらと、視界が揺れている。
「……………………あっ、揺れてるのは、私?」
両手で頭を押さえて、ようやく視界の揺れが止まった。頭が左右に揺れていることに気付く間に、白雪はまばたきを三回していた。
ジロは苦笑いを浮かべて少しあきれながら、白雪の目の焦点が目の前にいる自分に合うまで待つことにした。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……ジロ? いたの?」
「長かったな。おいっ」
苦笑いは引き攣り笑いに変わっていた。
「んっ?」
「いやー、別に。今来たんだ」
「そう」
白雪はまだ夢見心地なのか、ねじ屋の店内に視線を泳がせていた。壁から、床へ。ショーウィンドウから壁にかかったスパナやハンマーへ。天井から壁にかかったねじばあの写真へ。
「おーい」
「えっ?」
「大丈夫かよ」
「……うん」
と、言った白雪の顎には、よだれのあとが残っていた。腕を枕にして眠っていたテーブルの上にも、よだれの水溜りがしっかりと残っている。
ジロは、心底あきれたように、大きくため息をついた。
「なによ」
「ねじ屋の店先で、よだれたらして居眠りかよ」
あわてて白雪は袖でよだれのあとを拭い、テーブルに上から覆いかぶさって水溜りを隠した。
「…………」
「……そこから、どうすんだよ」
「…………」
沈黙十秒。
白雪は、いっそ堂々と、身体を起こして胸を張った。水溜りには、もちろん何の変化も見られない。
「…………」
「……で?」
「よだれじゃないわっ! ただの洗浄液よっ!」
「…………」
「…………」
「……なんか、そっちの方が嫌だな」
「……うん」
テーブルの脇から雑巾を取り出し、白雪は水溜りの掃除を始めた。
「…………いつから」
「んっ?」
「いつからいたの?」
「……最近顔色が悪いとか、なんとか、言ってる時から」
「起こしてよ……」
「幸せそうに寝てるのに、起こせるかよ。…………なんか、様子がおかしくなったから、こわくなって、結局起こしたけど」
「…………」
「なあ、どんな夢だったんだよ」
テーブルの前の椅子に座って、ジロは興味津々といった顔で訊ねた。
「別にいいでしょっ。そんなのっ」
白雪は、ゴシゴシと強くテーブルを拭く音で、ジロの追求を誤魔化そうとした。が、ジロの台詞は、しっかりと強烈なインパクトをもって、白雪の耳に届いた。
「ジロウちゃんってのは、なんだ?」
「…………」
「まさか、俺のことか?」
「ちがうわよっ」
雑巾を床に投げ捨てて、白雪は力強く先を続けた。
「私とタロの子供っ!」
「はあっ?」
「ジロウちゃんっていうのよ。あなたの名前に似てるのは、タロがつけたからなの」
「……はあ、そうなのか」
「タロはね、東芝重工の優秀なエンジニアなの。でも、上司のレグザから執拗なセクハラを受けててね、出世コースからは外されちゃったの」
「……はあん、レグザがねぇ」
今度は、ジロが誤魔化す番だった。
どうすればこの先の展開を止められるのか。ジロは考えた。必死に考えた。必死に必死に考えた。結果、時間切れだった。
「私とタロは、結婚して二年目。ちょっと倦怠期気味なの」
「二年目でか。大変だな」
いろいろあきらめたジロは、むしろ気持ち良く全部吐かせてやることにした。
「ちょっとイライラして、家庭で暴力を振るうこともあるけど、本当は優しいタロと、ジロウちゃんの三人で、私は幸せに暮らしてるの」
「絵に描いたような幸せな家庭、だな」
「でね、タロには愛人がいるの」
「おっと、事情が変わったな」
「露出度の高い服装と甘い言葉に騙されて、タロはついつい気を許しちゃうの」
「言いたいことは、……だいたいわかる」
「名前は、鈴鈴」
「……なんとなく予想できた」
「その愛人にもね、旦那がいるの」
「お互いに不倫なのか」
「その愛人の旦那がね、私のお兄ちゃんなの」
「お兄ちゃんかっ!」
「生き別れの」
「生き別れかっ!」
「その人は、若い時はやんちゃしてたタロを、真人間にして、東芝重工に入れてくれた人だったの」
「そうかー。すごいやつなんだなー。まるで、救いのヒーローだ」
「名前は、ジロ」
「って、俺かいっ!」
「ジロは、生き別れた妹である私の夫であり、自分の妻を寝取ったと思い込んでる男であるタロに、昔を恩を仇で返したタロに、復讐を誓うの。そして、私は、復讐の渦に飲まれて、身を破滅させる。最後に残されたジロウちゃんが、ジロの子、ヤキヤキと、最後の決戦に挑むの」
「…………」
最初から最後まで、ドロドロだった。
「…………キャスティングに悪意を感じる」
「夢だから」
「そうか……」
ジロは、心底疲れたようにうな垂れて、長く長く、ため息をついた。
深呼吸をして、もう一度。
白雪はといえば、実に清々しい顔で遠くを見て笑っていた。
何を見て笑っているのか、ジロは聞かないことにした。
「それで……」
「あんっ?」
「今日はどれだけ稼いだの?」
「ああ、そうだった。忘れるとこだった」
言って、ジロは床に置いていたカバンを指した。
「見てくれ」
「はーいよっと」
電卓を片手に、白雪はカバンからパーツを取り出して、一つ一つ値踏みしていく。電卓に弾かれる値段を、ジロは首を伸ばして覗き込んだ。今日も、まずまずといったところだろうか。
「んっ」
最後のパーツを手にとって、白雪は小さく声を漏らした。電卓を床に置いて、その最後のパーツを両手で大事そうに撫でまわしたり、照明にかざしたりしている。
「どうした?」
「んー、んっ? んんっ? んーんっ」
「どうしたんだよ?」
「ちょっと待ってね。古い年式のパーツで、資料を見ないとわかんないの」
そのパーツをテーブルの上に置いて、白雪はショーウィンドウの下をガサゴソとあさり始めた。ジロには量産型工事用ロボの腕にしか見えなかったが、白雪にはこのドリルが量産品とは違う物に見えるらしい。
「まだか?」
「もうちょっと、待っててって」
なんとなく手持ち無沙汰になってしまったジロは、愛用の如意棒(命名:タロ)を顎に乗せてバランスゲームを始めることにした。
が、すぐに厭きた。
バランスを保つのは簡単だった。しかし、沈黙を保てるほど、ジロは人に無関心ではいられなかった。
無為な時間を続けるには、ジロは一人で生き過ぎていた。
「お前は、ホント、タロが好きなんだな」
「えっ?」
「お兄ちゃんは、良くわかんないよ。あいつの何がそこまで好きなのか」
ジロは、バランスゲームを続けながら、先を続けた。
白雪は、資料を探しながら、その先を話した。
「んー、何って言われると、とても難しい」
「難しいのか」
「うん。あの時、タロが現れて、私の世界を変えてくれた。だから、タロが好き。でも、タロじゃなくても、良かったのかもしれない、なんて思うことも、ある」
「そっかー。思っちゃうのか」
「でも、今は、タロじゃなきゃ嫌、とも、思う」
「なんだ。やっぱりタロなんじゃないか」
「うん。きっと、運命、だったんだと、思う」
「運命?」
「そう。運命」
「なんか、ふわっとした言葉だな」
「そうかもね。でも、あの時、タロが来てくれなかったら、私は今ここにいない。タロがいなかったら、きっと、ねじ屋でみんなを修理するなんて、しなかったと思うの」
「そうだな。そうかもしれない」
「私は、今、幸せ。とっても幸せ。あのままいても、こんなに幸せにはなれなかったと思う。だから、今の私に導いてくれたタロが、私は好き」
「幸せね。なら、いいんじゃないか」
「そういえば、私の目の前でタロが壊れた時、ジロは助けに来てくれたわね」
「ああっ? そう、だったかっ?」
「そうよ。その後、タロと一緒に私を、ねじ屋まで連れてきてくれたのも、ジロ」
「まあ、物のついで、……だったからな」
「それでも、それもやっぱり、あの出会いも運命だったんだなって、そう思うの」
ジロは如意棒を掴んで、いまだ探し物を続ける白雪にその先を向けたが、白雪はこちらを見もしないので、その意味は全くといって言い過ぎないほどに、なかった。
「恥ずかしい言い方はやめろ」
「あらっ、事実よ。じ、じ、つ。私はそう思ってるんだから」
「だからって、……言いようってのがあるだろ」
「なに照れてるのよ。お兄ちゃん」
「…………」
むくれているジロの姿が、白雪は振り向かなくても想像できた。想像した姿のあまりの可笑しさに、クスクスと声を殺して笑った。
「ジロには、ないの?」
「あんっ?」
「ジロは、運命って、思ったことは、ないの?」
「んーっ? 運命ね。…………運命。んー」
「そんなに、真剣に悩まなくてもいいのに」
「いやー、なんつーかさ。…………出会いが運命って言うなら、ねじばあに会ってなきゃ、俺はこの村にいないわけだし。タロに助けられてなきゃ、俺は生きてないわけだし。タロが俺のことを勘違いしてなきゃ、ここまでタロに世話焼いたりしなかっただろうし。…………んー、これもっ、全部、運命っていうのかな?」
「ジロは幸せ?」
「まあ、前よりは楽しくなったな。ルールに縛られて動いてだけの昔に比べりゃ、だいぶましだ」
「いきなりルールがなくなって、こわくなったりしなかったの?」
「んー、まあ、お前みたくゆっくり考えられる時間があったわけじゃないから、よく覚えてないけど」
「別にのんびりしてたわけじゃないわよっ!」
「選択の余地がなかったって意味だよ。怒るなって」
「別に怒ってませんよー」
「そうかいそうかい。良かったよ」
「…………」
「…………」
「…………まあ、そうだよね」
「……んっ?」
「……ジロは、怒涛の人生だもんね」
「怒涛って、なんだよ」
「なんとなく、よく知らないし」
「…………んー、まあ、あれだ」
「…………」
「ルールが無くなって、自分で選んで、それでも今幸せなんだから、それでいいか、なんて思ってるよ」
「…………」
「そういうのも、運命って、言うのかな」
「…………あれー、見つかんないなー」
「おいっ」
「見つかんないんだってー」
「おいっ、聞いてんのかよっ!」
「運命、運命。間違いない」
「……ったく、ホントかよ」
ねじ屋からは二人の笑い声が響いていた。
まだ見つからないのか、白雪は探し物を続けている。
まだまだ時間がかかることを見越して、ジロはバランスゲームを再開する。
結局、ヤキヤキの戻ってくるまで、二人は他愛のない話で盛り上がってしまい、白雪は探し物を見つけることができなかった。クドクドと小言続けるヤキヤキを横目に、二人は舌を出して笑っていた。
【白雪&ジロ.ver END】
---------------- キリトリセン ----------------
本編は、劇団三年物語シーズン2 第2回公演「ツクモガミ」の二次創作です。
読み終えた後、「三年物語」に少しでも興味を抱けて頂けたら、幸いです。
以下、リンクです。
■ 劇団三年物語さま
感想などありましたら、【一言版】にお願い致します。
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